仮想通貨に大金を突っ込んではいけない
仮想通貨の危険性
まず仮想通貨への投資は難易度の高いものだという認識を持つべきです。
理由は簡単で、基準がないからです。
2017年から2018年の頭にかけて、仮想通貨バブルともよぶべき大幅上昇と、それを打ち消すような暴落がありました。
現在も一時期の高値に比べて1/3とかもっとひどい値のまま回復していない仮想通貨が多いかと思います。
⬇︎今画面ショットした仮想通貨の様子。
チャートはイーサリアム。
上でも書きましたが、仮想通貨には基準がありません。かつてオランダであったというチューリップバブル(詳細は
Wikipediaなど参照)のように、チューリップの球根一つが年収の何倍で売買されるというような異常な状態が去年の仮想通貨バブルだったかと思います。
バブルについて
バブルというのは後からわかるものです。オランダのチューリップバブルにしろ日本の不動産バブルにしろ、それが高値でやり取りされている間は、その値段でやり取りされる“それらしい理由”が付きます。
で、専門的な用語やら何やらが飛び交っても一番最後に言われる言葉はおそらく「まだまだ価格は上がります」です。
もっとも“本当の価値”などというものは曖昧なもので、株価などを見てもわかるように同じ会社の株価が1週間くらいで半分になったり倍になったりします。
絵画などはもっと極端で、本人が生きているうちは1枚も売れなかったゴッホの絵は、現在オークションに出れば何億円もの値段が付くそうです。
バブルの末路
つまり、バブルの末期になるとその商品をやり取りしている人間の殆どはその商品が本当に欲しいわけではなく、自分が買った値段より高く売れることを見込んで買っているわけです。
こうなるとその商品の本当の価値などどうでもよく、自分さえ儲かって損をしなければ良いというババ抜きゲームが始まります。
誰かが誰かよりも高い値で買ってくれているうちは良いのですが、次第にババ抜きゲームの参加者が減っていき、最後は高値掴みをした人だけが残ります。
こうなるとその商品の下落、いや暴落は早いです。
自分が買った値段より高く売れないとわかったら、その商品は売れる限りの高値で早く手放すべきです。
しかし、買った値段よりも高く売れないとわかっている商品を好き好んで買う人はいません。
日本の不動産バブルでは、借金して買った土地の価格が下落して借金が返せず、融資が焦げついて銀行が経営危機に陥りました。銀行が融資に対して臆病になれば資金繰りに四苦八苦している中小企業は経営が成り立たずに潰れていくところが多くなります。
中小企業が潰れるとその従業員は無職となり、雇用が失われていきます。雇用が失われると所得も発生しないので、消費も失われます。消費がなくなれば売上がなくなります。
そうやって日本の失われた20年は始まりました。(失われた20年 - Wikipedia)
仮想通貨の価値基準
2017年の仮想通貨バブルは2018年始めに弾けましたが、不動産バブルのような大規模な経済クラッシュは引き起こしませんでした。
それは上で書いたように借金してまで仮想通貨を買うような人は少なく、それが日本経済全体におよぶような規模ではなかったからだと思います。
しかし、仮想通貨が抱える根本的な問題はバブルの有無に関係がないものです。
それは、“適正価格を求めるべき基準がない”ということです。
野菜や魚、家電や家具に至るまで身の回りのあらゆるものについて私たちは普通の価格という感覚を持っています。
缶ジュースは通常1本120円くらいでしょうし、コンビニ弁当は1000円を超えるものは多くないでしょう。
その感覚があるから“激安セール”というものも生まれるわけです。
逆にコンビニ弁当で2000円もするものがあればそれなりの理由がついているはずです。珍しい食材を使っていたり、同じ食材でもランクの高いものばかり使用したプレミアムなものであったりなどです。
繰り返しになりますが、仮想通貨にはその価値を決めるための指標がありません。1年で10倍も20倍も変動する通貨は実質上の通貨として機能しないでしょう。
※ビットコインはビックカメラなどで使えるというニュースがありましたらまだ使えるのでしょうか?
バブルは形を変えて、何度でも起こります。
仮想通貨もあと何回かバブルが発生するかも知れません。
しかし、いずれも価格が上がり続けるようなことはあり得ません。どこかでバブルは弾け、高値掴みをした人は大きく損をします。
危険な場所には近寄らないのが一番
金融リテラシーの低い投資初心者が仮想通貨で大きく儲けようというのは、ルールを覚えたばかりの麻雀でベテラン雀士と高レートの卓を囲むようなものです。とても運良くビギナーズラックで勝てることもあるかも知れませんが、長くその場にいればお金をむしられるだけでしょう。
一番は、そもそもそんなところに近寄らないということです。
では。